わしと西部邁氏との決裂は「社交」が原因だった。
右派とも左派とも社交するのが西部氏だったが、
わしは「一人でいても寂しくない男になれ」が
信条なので、基本的に社交が苦手だ。
わしは幕末に憧れる。
論敵を斬殺する覚悟で相対する時代だからだ。
「新しい歴史教科書をつくる会」の会合で、
産経新聞の記者が参加していたとき、西部氏は
その記者に食って掛かって場の雰囲気が相当
マズくなった。
西部氏から見れば、朝日新聞も嫌いだが、産経新聞
はもっと嫌いのようだった。
この感覚はよく分かった。
朝日は現憲法を守ることで、アメリカの属国化を
固持し、産経は現憲法を変えてもアメリカの属国化
を深めるだけと、西部氏は喝破していた。
どちらかと言うと、保守を自称しているくせに、
属国化を深める方が、自己欺瞞が激しいと思っていた
のかもしれない。
だったら産経新聞の「正論大賞」などもらわねばいい
と、わしは思うのだが、やっぱりもらっていたのが
不思議だった。
社交を大切にする人だからだろう。
わしは「小学館漫画賞」をもらったときに、審査員
の姿勢に我慢が出来ず、スピーチで審査員を批判して
翌年、審査員を総入れ替えさせてしまった。
賞などに権威もありがたさも、実は感じていないし、
社交などぶっ壊してしまっても、自分の「個」を
貫いてしまう反射神経を、わしは持っている。
小川榮太郎やら、三浦瑠麗やらには「フェイク大賞」が
相応しい。
あんな場にかけつけて祝ってやる者どもも、堕落して
いるというのが、わしの考えだ。
「一人でいても寂しくない男になれ」
それが信条だが、幸いにもわしの周囲には、わしを
分かってくれる人たちもいる。
「一身独立して、一国独立す」も、わしが好きな言葉
である。